あとがき &c.
『ガーデン研究会ジャーナル1』あとがき
植物は地面に生えている。水の中や空中にも生えている―かもしれないが、とにかく土から生えると人は思っている。が、植物は世界を旅するし、種として世紀を生きのびる。アジアの植物のどれほどをヨーロッパの人々が持ち帰り、美味しい紅茶を生産し、庭に可憐な花を飾ってきたのだろうか。植物は標本になって、種として、土に生えたまま、あらゆる可能な手段で集められる。薬になるもの、美しいもの、食べられるもの、資材になるもの、植物資源の有無が人間の集団の間に差異を作り出す。植物研究のオーソリティはまだ見ぬ地域を踏破する通行手形となる。これは博物学隆盛の時代の昔語りではない。現在進行中のキュー植物園による世界の種を集めるプロジェクト(Millennium Seed Bank Project)は、2020年までに世界中の植物の四分の一を集めるという。植物はやはり集められるのだ。サー・ウォルター・ローリーは英雄である。ジャガイモをイギリスにもたらした名誉も、彼のものである。近代のヨーロッパではジャガイモが旅するところ人口が爆発した。イギリス名物フィッシュ・アンド・チップスは北洋のトロール船の成功とジャガイモ料理のコラボレーションである。ジャガイモに限らず、有用な植物が採取された地域(地面)は、まずは植民地候補地となるだろう。アンデスの各地方、スリナム、カリブの島々、インド、オーストラリア、中国―そう、植物は世界を旅するし、それは人間の想像力を時には越えていく。このジャーナルは2014年度の研究成果を集めたものである。ジャーナルのタイトルとなっているガーデン(garden)には様々な意味がある。庭園、肥えた農耕地帯、学びの場、庭を作ること、果樹園、菜園―これらは花と緑のすべてと人間の関わりを示唆している。ガーデン研究会はこうした関わりを考えることが始まった時に、出現する会だと規定しておこう。小さな集まりをこれまで何度か開いてきた。この地面に植えられた種が、いつか葉を茂らす木になることを願って。
『ガーデン研究会ジャーナル2』あとがき
歴史は勝者によって語られる-というのは、何も国の歴史にとどまらない。庭の歴史においてもそうである。ホレス・ウォルポールがヨーロッパ庭園の歴史を書いたとき、イギリス風景庭園を賞賛し、フランス式を退けた。これは国威発揚の精神でもあり、政治的、経済的な後ろ盾を持った文化的な勝利宣言ともとれる。敗者は歴史を語る口を閉ざされ、社会の周縁に押しやられるのが定石であるが、詩のことばはそうしたものに抵抗する力があるようである。借金のために先祖伝来の屋敷や土地を売りとばす行為は、一見世の中に敗北したかのようであるが、数え切れないほどの邸宅と立派な庭園がイギリスの各地から消滅し続けて二百年経ってみると、ニューステッド・アビィが今も健在で人々に愛されているのはバイロンのおかげだと知ることになる。「バイロンを信じよ」、かもしれない。
さて、庭は囲い込むものである。囲い込まれていないと庭ではない。アメリカはあまりに国土が広いためか、大々的に囲い込んで庭園にするようである。野球場もgarden となる。イギリスでは国土が狭く痩せており気温も低いためか、囲い込まれた中に取り込む方式になる。とにかく沢山の植物を集めたがる。集めたところで育たないことも多い。仕方がないので植物図鑑などを熱心に編集する。リンネ分類学を極めたのはいいが、植物の数が増えすぎてその分類法が機能しなくなってきたのは19世紀の声を聞くころであった。
表紙に使用したニューホフの旅行記にあるブラジルの果実の表象は、かつてヨーロッパの人々にほとんど知られることのなかった豊穣さのイメージの一つである。17世紀の旅行記においてユートピアと未知の国との境は、時に限りなく曖昧であった。アジアのイメージもそうであった。語るものと語られるものとの非対称の構図は、そうした旅行記において特に顕著となる。今回の内容は、植物表象、旅行記、そして庭をめぐって、はからずも仏、英、米と循環する形となった。
『ガーデン研究会ジャーナル3 』あとがき
ロンドンのシティ北西部、かつてセント・ルークスと呼ばれた地区の北部には、イズリントン(Islington)という地区があった。チャールズ・ラムは長く勤めた東インド会社を辞めたあと、そのイズリントン地区に越してきた。セント・ルークスの猥雑さから逃れた、運河が横切る郊外の田園地域である。ラムの家には菜園もあり、心地よい居間に書棚があって、ちょっとしたお大尽のようだ、と彼自身気に入っていた。
草原や畑が点在し、時には牛の姿も見える、日本の東京には明治の昔にはそうした光景があった。ロンドンも同じである。都市の利便性と田園ののどかさとを併せ持つ、そんな居住地がそこかしこにあった。文明の進歩を目指して突き進む社会と、古くからの農村的抒情との危ういバランスの上に、それから百年後には「田園都市」といった名称で思い起こされる、記憶の風景のようなものが存在したのである。
しかしもう、東京の渋谷が乳牛のいる村であったことがほとんど思い出されないように、今や高級住宅地のブロンプトンにかつて野原が点在していたことも記憶から消されている。そして時間の中で忘れられたような場所にかつて庭があったとしても、そこに人々が集い美しい花が咲き誇っていたとしても、多くの場合誰も伝えないし何も残らない。庭の体験は当然文字では十分再現できず、僅か残された言葉をたよりに想像を働かせるほかない。
カリフォルニア、バークリーの山腹にある大学の植物園では乾燥地帯の植物がよく育っていた。バンクシアも青々と茂っている。はるか遠くの異なる気候の植物であっても、足もとの岩陰でかすかに風に揺れる様は、庭の記憶としていとおしい。庭とは(現象にせよ想念にせよ)今ここにあるものであり、リアリティのありかはこちら側の心の強さにかかっている。第3号はアメリカ、フランス、イギリスと、庭と植物と科学のテーマが周回し、植物のデザイン考にも彩られて充実したものとなった。
『ガーデン研究会ジャーナル4 』あとがき
このジャーナルの発行も四回目となり、これで一つの区切りとなる。しかしことの結末は、一つに収斂するものではなく、多方向に広がる植物表象の可能性に思いを馳せるものとなった。
イギリス文学の歴史年表を見ていると、当然ながら時代順に作品が並んでいる。その時代順に同様に植物書を並べたとしても、イギリス17世紀以降は結構壮観な眺めとなる。特に、18世紀後半になると一気に出版物が増え、各地域の植生を調べたものや、特定の種類の草花に特化したもの、リンネ分類を用いた一般向けの書籍、19世紀にもなろうとしているのに全編ラテン語の書籍など、その様態は様々である。一昔前には考えられなかったほど、グーグルブックスに代表されるインターネットによる書籍公開により、古い書籍を自由自在に見ることができるようになった。稀覯本としてめったに手を触れることができなかったようなフォリオ版の書籍でも、今は画像上で十分楽しめる。かつてフィリップ・ミラーの『園芸辞典』の各版を見比べることなど、よほど図書館と居住地に恵まれなければできなかったことであるが、今では簡単である。であるにもかかわらず、私たちは園芸書を「読書」することもない。
リンネの弟子が見たテムズ川沿いのチェルシーの緑の光景は、いまのチェルシーを知るものにとって、まるでファンタジーの世界である。二百年前の文学が現在何の役に立つのか、それを考える前に、ユートピアにも見えるかつてのロンドンへの時間の旅を、園芸書とともに試みてみるのも悪くないだろう。そこには恐らく、文学と言う制度的な臭みのない、健康な土から育つ言葉があるはずである。
本号には柳宗悦とコーと・ダジュールの話題も盛り込んで、国際発表原稿をも収録した。植物書の一大リストをと試みてデータベースまで作ったが、あまりの膨大さに全体を取りまとめるには到っていないことを付記しておく。